ホメオパシー体験談

体験談①35年間悩み、薬を手放せなかった「緊張症」が改善し本当の自分になれた。

*ご本人の体験談です。掲載内容を無断で、コピー、転用など他のサイトでの引用リンクも固く禁じます。

『インチャを手放し、薬を手放し、本当の自分を獲得』
52歳 女性

緊張症の症状と薬
35年近くもの長い間、薬とつき合ってきました。座ると身体が硬直して、ノートを取ることもできず、
お箸を使おうにも身体が固まったように硬直して動けないということを病院等の行く先々で説明していましたが、『?』という感じでした。

人がいると(家族でさえも)意味不明の緊張感のような感覚があり、ドキドキして動けないのです。動く事が恐怖に繋がります。まるで獲物を探す動物が見つからないようになりを潜めているかのようです。

誰かに押さえつけられたような、石のような感覚になり動けなくなるという不可解な症状です。座る姿勢がいちばん身体が硬直するので誰かと食事することができません。

人の目がこちらに向いていることも何より耐えられません。
事務系の座る仕事もできませんし、様々な会合なども身体が硬直して動けなくなるのです。いつの頃からか電車も映画も無理になりました。

原因がわからず、とにかくいろいろなことを試しました。
この症状を恥じていました。一度だけ友人たちに話しましたが、それ以後会わなくなくなってしまいました。
この辛い症状で悩んでいる事は、主人も子どもたちも知りません。一日に3度の食事さえ、辛く緊張の毎日でした。

症状の対処法は向精神薬で、7年くらい前からは、担当医の判断で「ランドセン」というてんかん薬に切り替えました。
でも、てんかんではありません。症状が理解されないまま使い続けることになってしまいました。薬を摂ると身体が緩み、硬直が緩和されていました。

ホメオパシーで治そうという決断に至るまで:
「ランドセン」の副作用なのか、3,4年前から目のまぶしさ、頭のふらつきが目立ち始め、使い続けることへの懸念が増していました。そして、親に対しての感情をどうにか落ち着かせたくてChhomのインナーチャイルドセラピストの講
座に通い始めました。

そこで、ホメオパシーの重要性を強く感じるようになったのです。

心を癒しにはレメディの力が必要だと感じ初めていた頃、生活状況が急に変わってしまい、緊張する事務の仕事を手伝うことになってしまいました。

医師が首をひねるような不可解な症状を、ホメオパシーで治るかわからないけれど、インチャも癒す助けになるならゆだねてみようと。そのためには何年かかってもいい、貯金を切り崩してもいい。

自分が薬で壊れていくのをただ見ているだけよりは……。と腹をくくりました。

治癒への道:
スタートしてすぐ身体の反応が始まりました。
腸が活発にゴロゴロとうねるように動き出しました。薬の副作用で脳へのダメージが強かったのか、相似形の腸への反応が一番早かったです。そして首のコリ、胸の張り、股関節痛、足裏の痛みと相談会の回を重ねるごとに次々、好転反応が始まりました。

しかしどれも我慢できるくらいの反応でした。様々な身体に起きた反応は、まるで私の身体の縛りを解いていくかのようでした。冷や汗のようなホットフラッシュのような症状も頻繁に起こり、仕事の失敗時には身体を駆け抜ける冷や汗とはレベルが違う異常な暑さを感じ、繊細な自分を知りました。

感情面では、否定される言葉に過敏で、主人には当たりまくっていました。親との会話では猛烈な怒りが湧きました。ホメオパシーでは、心の根底から様々な感情が湧き上がってくるのです。今思えばすべて意味があり、この感情も好転反応だったのだと思います。

私が気づいたこと
自分が良く思われたいばかりに嘘をつき、つじつまを合わせることに気がつきました。しかし、とにかくこの行為をまずは肯定しました。

嘘をついてまでもプライドを保たなければならない事が過去世であったのなら、それも認め、肯定していく。
自分の嫌な部分が浮き彫りになりますが、とにかくそうした言動すべてが、今までは自分を保つ術であり、それはそれで良かったのだと、癒し続けました。

相談会の3回目くらいで自分への信頼はぐっと高まりました。インチャが自分を信頼してすべてを預けてくるような感覚がありました。そのためか、様々な感情が日常生活につぶさに見えてくるような、見せてくれているような感じ増えてきました。

人と心が通わない事や、他人への興味がないナルシストな部分に気づき愕然としたりもしましたが、それだけ自分への興味、探究心があったから、ホメオパシーに出会うことができたのだとも思いました。

失敗に対しての自己卑下がひどく、そのたびにプライドが高く傷つきやすい自分であることもわかりました。苦手でできない事の失敗には、まわりが寛容であって当前なのだという価値観。
失敗したときには、優しくされて当然という思いが表れたとき、これは『過去世でしょ』ということ意外考えられませんでした。

自分がしてもいない失敗を全体責任だからと、かぶる事はしたくないという思いも出てきました。過剰な責任感への想い(責務感のような縛りのある感覚)は、過去世の出来事が深くからんでいたのではと思います。

次第に間違いは間違いと認められる自分への余裕と、他者への思いやりが芽生え、真剣ゆえに必死に怒りながらでも伝え教えてくれたことへの意味、真実を見る目、素直に聞けないことが災いした事……。
自分の歪んだ画一的な捉え方で、大事なことも見落としていた事など、レメディーを摂ることで出来事への気づきが多くなっていきました。

断薬への道
できるだけ薬は摂らないように努力はしていました。
それはそれはつらく苦しいものです。でもここで自分に甘くしてはいけないとストイックに頑張り続けていました。薬を1/2、1/4、1/8と小さくしてみたり、口に入れた薬を飲み込まずにすぐ出したりもしました。

薬を減らしても大丈夫だったときは明るい兆しに心躍り、全然だめな時はがっかりして絶望感に浸りました。レメディの力を感じながら、もっとリラックスして症状の軽減を待つのもひとつの方法だったかもしれません。

しかし早く薬を止めたい焦りから、練習すればより早く脱せるかもしれないと思い、薬を摂らずレストランに入ったら、身体はこわばり大変くたびれたことがありました。

でもそのとき身体から「自然にできるようになるから、頑張らなくても大丈夫だよ」という感覚が伝わってきたのです。なので練習はこの一回限りで辞めました。

そして自分の身体への信頼感が強まりました。余分な力が抜けたのだと思います。

そしてある時、薬を摂らずに電車に乗れたのです。
ひとつの突破口になりました。嘘のようでした。身体が縛られた感じがなく普通でした。
『あー、こんなふうにできるんだ』と思いました。

そして6回目の相談会の後、仕事である式典に参加しなくてはならず気をもんでいましたが、なんと当日は薬を取らず、全く平気で過ごせたのです。
頭は空っぽになり、何も考えずに会場に向かえた不思議。
心配感も何も持たずにいられたのは不思議というしかありません。

母との確執
母との関係も私の感情を大きく揺さぶりました。怒りと納得の繰り返しでしたが、会話すると振り出しに戻り、腹の底には何か黒い怒りが横たわっていました。

スタートから間もなく1年と言う7回目の相談会の時、最後のあがきのような、歯肉の腫れやひどい腰痛の好転反応がありました。途中相談会でサポートしていただけたからこそ通過できたというぐらい、これはひどい痛みでした。

9回目というタイミングで、健康体の母が入院しました。胆石でしたが高齢なので気落ちがひどく、母の人生に対する諦めを感じました。
大袈裟のようですが、『長くないかも……』そう思えるほどでした。今までは母に何があっても心が微動だにしなかったのに、この世の中から母がいなくなるかもしれないと言う現実に、とてもショックを受けたのです。

『潔く見送れない自分』意外でした。親への怒りの思いが実は愛しい気持ちだったと気づけたのです。
ショックでしたが、それが自分の本音でそこに気が付けたのです。肯定できたのです。これもこの治癒の一連なのだと思えてなりません。

本当に自然にそう思う気持ちになり、優しく接するようになりました。そしてこれからは母から逃げずにしっかり関わろうと思いました。
感情が湧いたらそれを見ていき、二人の親子としての学びを終わらせようと思いました。

また、6歳の頃からの両親に対する悩みや思いが浄化され消化されました。胆石の手術の麻酔から覚めた母が、『父への恨みの気持ちがなくなり、今なら手を繋いで散歩できたかもしれない』と言った時、私の中の大きな塊が氷解し、癒され安堵したのです。
父母の離婚は、自分の責任だと思っていたのかもしれません。父と母が散歩する姿を思うだけで涙が溢れます。
天国の父も聞いていてくれたのではと思います。

緊張症の症状で、高校の時に母が連れて行ってくれた病院が処方した薬がきっかけで、薬との長い付き合いが始まりました。でも母は私が勧めたホメオパシーのレメディーで治癒が早まり、こうしてお互いの関係と健康がホ
メオパシーで癒されていくとは、なにか因果的なものを感じます。

ホメオパシーのサポートで完治した母の言動は、以前のように戻りましたが、今では母に対して怒りも何も湧かないのが不思議です。

卒業という言葉を聞いて
片上先生から9回目の相談会で、『もうすぐ卒業ね』と言れたときは、正直ピンとこなかったのですが、10回目のときは、薬はもう一切口にしていませんでしたし、持ち歩いてもいませんでした。

思ったよりかなり早い卒業で、夢のようです。
35年もの間、片時も忘れられない悩みで苦しんできた症状なので、まだおっかなびっくりのところはあります。

でも時間とともに完全に忘れて過去のことになっていくのだと思います。このことで走り続けてきた人生でしたので、今はまだ何もせずゆっくりしたい気持ちです。

今までは、薬を摂るタイミングが取れずにお店に入ることを躊躇したり、旅行も苦でしたがこれからは行きたいところへ行き、入りたいお店にも入れる普通の生活が送れる楽しさを味わいたいです。

レメディが見事にヒットしていくよう選んでくださる片上先生の力量はすごいものがあります。このような難儀で長期間抱えていた主訴を、ここまで導いてくださった片上先生には感謝の気持ちでいっぱいです。

先生、これからは自分らしく生きていきますね。
今からその道を楽しく探していきます。
本当にありがとうございました。

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先日、「銀座のオーバカナルで楽しく食事をしてきました♪」とメールをいただきました。
《オープンカフェで行きかう人々を眺めながらリラックスして食事を楽しむ…》日常だれしも可能な出来事に思えますが、この日常をさまざまな理由からできない方が世の中にはたくさんいらっしゃいます。

彼女の場合、人生でとった薬剤の排出もしていきましたが、なにより《インナーチャイルドセラピスト講座》で自分自身と向き合い、インチャを癒す作業をレメディーを取りながら行った事が、治癒を早めた理由だと思います。

1回目の相談会後から、「電車に座っていられた」「銀行で待っている間普通に座っていられた」、2回目後は「喫茶店に薬を飲まずに行ってお茶をすることができた」・・・と会を重ねるごとに日常生活で出来なかった事が、できる事へと変わっていきました。

そして最後11回目の相談会後は、てんかん薬の「ランドセン」を持ち歩かずに外出できるようになっていました。

高校生から取り始め、35年間手放せなかった薬を自らのインチャを正面から向き合い癒すことで手放し、

本当の自分を獲得することができたクライアント様こそ、素晴らしい方です。人知れず同じような悩みを抱えた方のために、役に立てればとこのように素晴らしい自らの体験談を書いてくださいました事、深くお礼申し上げます。

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